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Unforgettable Brass Pounders 16
98/01/09

1960年台にactiveであったWA6UNF(その後K6NB)、故Edについては、既に何回か記した。だが、Edとその仲間達のことを、Edの一周忌が廻ってこようとする今まとめて記しておきたい。

WA6UNF、Ed、は、退職したプロのCW オペレーターで、当時7020KHz付近でVK2NS,故Trevor、と殆ど毎日のようにスケジュールを組んで交信をしていた。Edは高速のキーボードで、Trevorも早いエレキーで闊達にして華麗なCWを叩いていた。これも既に記したことであるが、彼らはスケジュールを続ける内に、短点一つで互いを認識し合うようになったという。そして彼らのスケジュールQSOは、Trevorが亡くなるまで続き2000回以上に及んだという。

彼らのスケジュールには、様々な人々が入れ替わり立ち代わり加わっていた。その第一は、Edの息子と自称していたEdの親友、Cy、WB6CFN(その後K6PA)であった。私は彼が私と同年代の若者と思い込まされていたのだが、彼は当時50歳前後であった!と後できまり悪そうに教えてくれた。K6PAとなってからも良く交信させて頂き、あまりactiveでなくなってしまっていたEdの様子等を教えて頂いた。Edがサイレントキーになったと昨年春初めて教えてくれたのも彼であった。

KH6EFW、Ted、(後にK6YN)も当時特有のやや重めのバグキーでグループに加わっていた。その後、ハワイから本土に移住し、今ロスアンジェルスの近郊で息子さんと同居している。80歳代後半にさしかかった今でも、時々こちらの日暮れ時に同じバグキーで現れ、私と会うと「ちょうどお前のことを考えていた」等と嬉しくなるようなことをおっしゃる。Edがサイレントキーになってから、Cyがあまり出てこなくなったと嘆いておられた。

彼ら以外に、K7UQH、Kemp、VK2DO、Roy等が時々加わって、わいわいがやがやと楽しげにラウンドテーブルを囲んでいた。

彼らの多くは高齢となり、EdやTrevorのようにサイレントキーとなったり、以前のactivityのなくなってしまった人が多いのだが、彼らの大きなラウンドテーブルの記憶は消え去ることはない。日暮れ時にWのウエストコーストがかすかに7メガで入感し始める頃、テーブルを囲んでおしゃべりに興じる彼らを思い起こすのだ。

鬼澤信
JA1NUT