BMの今では昔の話 (08)

アンテナと無線施設を全部撤去してしまい心が非常に何となく寂しかった。 することもなかった。 会社では出て行ってくれることを願う表情であった。
昔も今も私の生まれつきの性格は他人に媚びることが出来ない性格だ。 それで人より進級も遅れて,不利益にあう場合もあったが不平や不満をいわなかった。 上の人や同僚らに哀訴もしなかった。 ただ一日一日まかせられたことを誠実にすれば良いとだけ考えた。
その時会社では会社創立20周年社史編纂準備委員会が構成されることになったが意外にも私を社史編纂実務責任者に抜てきしたのだ。 会社に社報があったが約10年にわたって毎月コラムをのせたのが契機になったようだ。
1981年12月28日が創社20周年なのに3年前から準備をすることになった。 危機を越えてもう一度の重大な責任が与えられたのだ。 公式的な資料は株主総会や理事会会議録などを整理すれば良いことだ。 会社創立背景でも,会長様の創業精神や企業理念などは20人の創業株主らとインタビューも行い,会長様とは工場巡回など機会があれば一緒に遂行をしながら彼の内面世界を観察してその昔の話を誘導してそれを文として表出するべきことなのにたやすい事ではない作業であった。
その頃米8軍副司令官でコンウェイ中将という方が赴任してきた。 この方は米国のActiveなHAMであった。 韓米Ham fastivalが米8軍領内将校食堂であった。 その時の笑えないハプニング一つが思い起こされる。 副司令官が韓国軍補佐官陸軍大尉にHam fastivalがあるからと衛兵所から将校食堂まで角々に案内板を置けと指示をした。 大尉はHAMを分からない人.... それでHam fastivalを"豚肉祭り"と翻訳して書いて置いた。 私たちが豚肉を食べることはしたがとはいっても誤った話はhi...?
つづく...

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