BMの今では昔の話 (05)

1964年頃で思い起こされる。 日本のHAM関連雑誌を見るとエレキ-製作記事がのせられていた。 昔"一歩は天国に"という映画があったが,私は一歩はアマチュアに,一歩はプロにまたがって無線通信分野の情報はよく知っていたが,エレキ-製作記事は私に新鮮な衝撃で差し迫った。
記事を見てすぐに清渓川(チョンゲチョン)市場に走って行って必要な部品を収集した。 その時清渓川(チョンゲチョン)は戦争中米軍が使用し廃棄された無線装備があふれ出ていた。 その時私が使った真空管はミニアチュアチューブといわれ指よりちょっとした,フィラメント1V用を使った。 回路はよく作動したがパドルが思いのままにならなかった。 テンションが強くても,弱くてもだめで,それでリレー,無線機のふたに安全装置でついているマイクロスイッチ,鉄鋸の刃,昔交換機につかった3段スイッチなどいろいろを試験してみたがその中でそれでも鉄鋸の刃がそれなりに使えそうだった。
全部で4台つくり私が本社と工場で2台を使って,大韓○○にいる友人に2台を譲渡した。全部手作業でアマチュア水準で作ったために格好は良くなかったが動作はよかった。 これがおそらく大韓民国では初めて使われたエレキーではないかと考えられる....
次はエレキーの基本姿勢...

[戻る]   [表紙]  [進む]
−・・・−−・・・−−・・・−−・・・−−・・・−−・・・−−・・・−−・・・−
A1CLUB TOP