BMの今では昔の話 (37) 原州(ウォンジュ)生活開始

1999年大関嶺(テグァルリョン)からソウルの家に戻ってアパート屋上にアンテナを設置しようと無尽を作ろうとしたが徒労に終わった。 ソウルとは違った所に引っ越しするか原州(ウォンジュ)の末の息子の家に行くか二つの中一つを選択することにした。 家内が重病で20余年間闘病生活をしているから移るというのも非常に難しいことであった。
しばらく相談したあげく原州(ウォンジュ)に下って行くようにして全てのものを整理することを開始した。 ソウルで生まれてソウルで基盤をおろして生きてきて見慣れない所に行くことを考えると若干は悲しくて虚脱感すらあった。
荷物をエクスプレス車に乗せて汝矣島(ヨイド)アパートの森を抜け出た。

行こう 三角山(サムカクサン) また見よう 漢江(ハンガン)の流れよ,
故国山川を 離れようと思っても
時節が 悪い相だから 行こうか 行くまいかしている。

この詩調が思い出されて私は“行こう三角山(サムカクサン)また見るや汝矣島(ヨイド)や,と何度も後を振り返ってアパートの森を抜け出た。
2008年9月臨時に原州(ウォンジュ)のアパートに住みかを定めた。 息子が教会を新築中であって年末頃に入居が可能だった。ウォンジュは都市全体が静かで非常にきれいだった。 連盟江原(カンウォン)本部があって,ウォンジュ支部の集いにも出てみると正会員が80人余りもあったし昔から交信して過ごした方たちもいた。 見慣れない所だが全く孤独でなかった。 その方たちが物心両面で助けてくれアンテナ設置と無線局再許可申請も一瀉千里で終えて2009年5月1日からいよいよ10年空白を破って電波を発射し始めた。 6月にALL ASIAN TESTがあってキーも,手も錆がついたのを払いのけるために参加をした。 2日間、交信時間は約10時間程度でDX 425局となった。 歳月は流れても一度学んだ技術は色あせていないということを確認したわけだ。
国内外で会う人ごとに10年ぶりです,15年ぶりですとても多くの方々が挨拶をしてくれる。
色々な所で何度も言及したことあるハンセムNET会員,安城(アンソン)のHL2CFY教頭先生と10年ぶりに会ったが感激で、胸が熱くなって、手が震えてまともに符号を打つことはできないようだった。 しばらく信号が切れた。 この場面をHL2KIGが聞いていたが文字を送ってきた。 “とても感激で多分涙をふいていているようです。”

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