BMの今では昔の話 (12)

定年退職したことで次の月1984年9月に大関嶺(テグァルリョン)研修院に赴任した。 1000ha (300万坪ソウル,汝矣島(ヨイド)の面積の約3倍)山野に牧場を運営する系列会社境内に研修院が立てられた。 アルプス山荘よりさらに美しい3階建物に建坪400坪,収容人員は100人程度だ。
海抜900Mの位置にあったし,ここから2km程度さきの山の頂上に江陵(カンヌン)電波監視局分室があった。 ここにはHL2DNYハンギョンウ氏と2人のHAMがいて往来をしたが外地で初めて赴任して近い所にHAMがいたということが大きい力となって慰めになった。 7キロ程度離れた横渓(フェンゲ)市内で大関嶺(テグァルリョン)薬局を経営するHL2DERもいた。
後方の山高い木々を利用して電波長のLOOP ANT (7mHz専用)そして3.5mHz、14mHz DP ANTも別にたてた。 無線局変更手続きを終えて11月から電波発射を始めた。 この時は7mHzの空間状態が良くなってきて昼夜なく交信がうまくいった。 高い山のてっぺんにたてたANTでBMの信号は全国どこでも59/9 +++に鳴り響いていった。
この年の冬はとりわけ寒くて雪がたくさん降った。 年末が近いある日の夜,その日の夜も雪がたくさん降って70cm程度積もった時だったが,夜1時頃差し迫っているかのように玄関のドアをたたく音が聞こえた。 半径2キロ以内には人家もなくて大雪が降るこの夜中に誰かがここを尋ねてくるということは全く想像することはできなかった.......
つづく.....

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